テスト前ですが、がんばって更新ですw

最近色々なサイト様で自分の歴史を語ることが多いようなので、便乗して思い出せる限りを書きたいと思います。

2004年11月
どこかの雑誌?か何かでLyceeのことを知る。プレリリースがコミケ限定ということで、oneway君などに購入を依頼。聞けば彼も始めると言うので、二人でやろうという方向で

2005年1月
正月。計58パックのプレリを空け、カードを眺める。そのときの感想としては

「まともにキャラでるのかな・・・」
「観鈴ってドローって書いてる。」
「相沢真琴のジャンプって強そうだな」

くらいでした。まだゲームという実感は無く、カードを眺めているだけでした。

いよいよリーフとVAの発売日。プレリで散財したため、VAは買えずリーフを1箱買うことに。初めてあたったのは瑠璃子のキラカードです。とりあえずコモンはある程度そろったので、逮捕と観鈴が使える雪日で組んでみることに。実は当時最初に組んだのは雪日でしたww無論長谷部とかは1枚くらいしか持ってませんでしたが

1月の末でoneway君が後輩を連れてきた。名はサトチーというらしい。挨拶したのだが、サトチー君の本名と彼のファイルにあったカードを見て気がつく

KanonTCGの時にもいた気がするw

案の定当時からの知り合いでした。同じ学校にもなったことで、また一人仲間が増えました。

で、最初のイベントは大会よりもフリープレイが中心でした。私はoneway君と練習試合をたくさんやりました。相手の大きなアタッカーを逮捕して、枚ターン志保と彩と観鈴で5ドローとかをしていた記憶がありますww

2005年2月
初めての大会です。スイスドローではなく、ガンスリンガー形式で行われました。私は雪月アグロコントロールのデッキを使っていました。里奈がメインアタッカーで、セリオと悪魔のささやきのコンボが搭載されていました。結果は4−1でしたが、初戦で当たったsaintearさんとの試合で私が放った暴言

「ゆっくりやってもいいですよ」

は今でも鮮明に記憶に残っています。あの時は本当に申し訳ありませんでしたwww

その後アリスが発売し、宙ゲーになった環境下で私はひたすら日単を使用していました。そのころには最初もっていたプレリを穿きまくり、デッキに必要なカードをたくさんそろえました。特に麻宮梗を集めるのにはとても苦労しました。

このころからGP予選が行われるようになりました。私は身内がたくさんいる札幌では勝てないと判断し、単身旭川に遠征しなんとか権利を取ることに成功しました。事実日単ではその後の公認大会でも勝てることはできませんでした。

2004年3月4月
GP予選が白熱してきました。oneway君の後輩のナルバレック君も加わり、身内での調整会は4人で行われるようになりました。その頃のデッキ分布は

宙雪、宙単、日単、日月、

の4種だったように思えます。実は日月が強かったこと、雪日などの選択肢が無かったことは、レベルの低かった札幌なので仕方が無いところでしょうか。

私は惨敗を繰り返すようになりました。しかし、皐月のメイストームや見当かなみに雪合戦を仕込んだりと、デッキをしっかり練りました。初手の動きやキャラ配置まで細かいレベルでの調整は毎日続きました。

そして4人で遠征した2005年GP1stさて、4人の結果は如何に??

続きはテストが終わった明日更新しますね

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